能登半島中央部・石川県七尾市は、桃山時代に活躍し、国宝「松林図屏風」で知られる長谷川等伯の生誕地であり、三十三歳で京都に移るまでの信春時代を送った地である。
来年は等伯没後四百年を記念して東京と京都の国立博物館で「長谷川等伯展」が開催される予定。その前年祭として石川県七尾美術館では、四月二十五日から開催される等伯展のオープニング(二十四日午後)が行われた。
四月二十四日(金)、「画聖長谷川等伯第四百回忌顕彰大法要並能登半島地震復興完成報告式」が、七尾市小島の遠壽山本延寺で執り行われた。本延寺は等伯の生家・奥村家の菩提寺であり、等伯の信春時代の作品、日蓮聖人坐像(木造)をはじめ、弟子等誉の大涅槃図も所蔵されている。
縁深い等伯の第四百回忌を迎えるにあたり、本延寺は五年前から本堂整備に着手。整備完成間近の平成十九年三月二十五日、能登半島地震に被災し、本堂・庫裏・山門・書院・守護神堂すべての建物に被害を受けた。不幸にめげず再起を誓い、奮闘の末、立派に再建。宗門をはじめ全国の知人友人の励ましに檀信徒一丸となっての尽力に、深い感謝の気持ちを籠めての復興完成報告式が併せて行われた。
大法要・御供茶式 本堂横手で九時半から等伯顕彰塔除幕式。その後、本堂にて法要が始められた。大導師は等伯が京で頼りとし、また、本延寺の本山でもある本法寺の御貫首大塚日行猊下。副導師お二方を伴われ、多くの僧侶方・檀信徒の方々も心を合わせての盛大な法要が行われた。
日蓮宗の儀式がつづき、お家元が点前座に進まれる。点てられた御茶は、若宗匠のお手で御本尊前に運ばれ、お取次ぎのお坊様が御本尊様にお供えされた。
御供茶が済むと、能楽囃子大倉流大鼓大倉正之助氏の「三番叟」演奏。
順次焼香があり、参列者の間には香盆が廻る。多くの方の祝辞がつづき、最後に本延寺住職河ア俊栄僧正の謝辞。震災復興のご苦労など心打たれるものがあった。
茶 会
翌二十五日(土)、京都・本法寺で利休をはじめとする茶人と交流のあった等伯を偲ぶ茶会が催され、お家元(濃茶)・石川同友会(薄茶)が席持ちなされた。
濃茶席は本延寺書院、薄茶席は長寿寺にて。両寺は共に日蓮宗。前田利家が小丸山城築城の際、外堀の外側に集めたとされる「山の寺」と称される地域にあり、徒歩数分の距離である。一帯は山の寺遊歩道として整備されている。
朝から生憎の雨となったが、新緑の萌え始めた里山道はしっとりと落ち着いて風情を増していた。
静寂の中、鶯の声を聞きながらお家元のお濃茶を戴けた感激を口になさるお客様も。檀信徒の皆様や地元の方々が多く、江戸千家のお茶は初めてとのお客様に、お家元も若宗匠も丁寧にお話しなさっていらっしゃった。峯雪先生が半東をお務めになった。
長寿寺の薄茶席は石川同友会のお席持ち。「このように多くのお客様をお迎えするのは初めて」とのお話だったが、お席主のお人柄もあって和気藹々と楽しいお席だった。道具のみならず花・菓子にも地元の趣を盛り込むことに意を尽くされ、お話を伺いつつ丹念に道具拝見。
静かにゆったりと、能登の春を味わった茶会だった。

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