| 花月楼は宝暦8年(1758)、その三年前に建てられた蓮華庵に隣接してやはり神田明神境内に営まれました。 |
宝暦5年に江戸への二度目の帰府をはたした不白は、それ以降の3年間も引き続き京都との二重生活を続け、師の嗣子 の後見に努めていたと考えられています。宝暦7年に が家元を襲名した後は、いよいよ江戸の地に根差した本格的な活動が始まりました。花月楼はその舞台となった茶室です。 |
| 八畳の広間の花月楼は、正面中央に一間の床を有し、いわゆる花月床といわれる形式をとります。その名の通り、師の如心斎とともに考案した時代即応の新稽古法「七事式」を執行するのに適した造りとなっています。不白は「七事式」を最大限に使って、江戸の地で千家の茶の湯を広めていったのです。 |
| 当時の茶室は現存しませんが、現在は宗家内に復元されています。 |